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日本少年野球連盟(ボーイズリーグ)とは1970年(昭和45年)に大阪で発足。
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わずか28チームからのスタートだったが、今や全国40支部に 小・中学生の部合わせ、
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チーム数約600、選手数約18,000人が加盟しており、日本最大の硬式少年野球組織
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(財・日本野球連盟加盟団体)に発展している。
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活動内容は、春季大会(3月)選手権大会(8月)といった全国大会をはじめ関西 関東地区など、
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6ブロックの大会を主催するなど、全国各地で幅広い活動を行っている。
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また、同時に海外にも目を向け、国際交流を積極的に展開し、1973年には、
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早くも「第1次アメリ カ遠征団」を派遣。
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日本では、1982年大阪で初めて「世界少年野球選手権大会」を開催した。
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参加国 が増えるにつれ、日本チームの健闘が光り、1994年の世界選手権(米・フレズノ)から
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6連覇を達成、10度目の優勝を飾り、世界にその実力を誇るまでに至った。
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さらに、各国を対象に毎年遠征、来日を繰り返して、親善を深め、
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1980年の「第1次訪中団」を皮切りに・アジアヘも交流範囲を広げていった。
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最近では、中国、韓国、台湾チームとの親善試合が多く
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将来 アジア大会への発展を目指している。
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日本少年野球連盟の
目的及び事業
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硬式野球を愛好する少年に正しい野球のあり方を指導し、野球を通じて心身の錬磨と
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スポーツマンシップを理解させることに努め、規律を重んじる明朗な社会人としての
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基礎を養成し、次代を担う少年の健全育成を図ることを目的としています。
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☆ この目的にそって、次のような事業を行っています。
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1. 少年野球の振興、指導、加盟団体に対する監督
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2. 少年に適した野球の調査、研究、普及
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3. 少年野球に関する全国規模及び地区別の各種国内大会の開催及び後援
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4. 少年野球に関する各種国際大会、国際親善試合及び国際会議の開催
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ならびにこれらに対する代表等の選考及び派遣
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5. 少年野球の指導者、審判員の養成及び講習会の開催
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6. その他この連盟の目的達成に必要な事業
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日本少年野球連盟の歩み
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1970年 日本少年野球連盟結成。 第1回選手権大会(小学生の部、中学生の部)開催。
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1971年 大阪府下、大阪北、大阪南、兵庫県、九州北、九州南の6支部誕生。
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1972年 第1回審判講習会を開く。
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1973年 第1次アメリカ遠征団を派遣。
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1975年 金属バット公認。
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1976年 金具スパイクの禁止。
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1977年 ボーイズリーグニュース(日本少年野球連盟機関紙)を創刊。
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1978年 アメリカからカーディナとヘイワードの2チームが来日。
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1979年 中学3年生の公式試合出場は11月末までとする。
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1980年 第1次中国遠征団を派遣、歴史的交流が始まる。
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選手手帳の携行を義務付ける。
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1981年 鶴岡理事長が早朝と日没後の練習厳禁を通達。「連盟の手引」を初刊。
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1982年 連盟の愛称を「ボーイズリーグ」と決定。
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82年世界少年野球選手権大会を大阪球場で開催。
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4か国8チームが参加、大阪が優勝。
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第1回マイアミ市少年野球大会に、少6、中1選抜チームが参加。
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5か国代表と リーグ戦を行い全勝で優勝を飾る。
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1984年 審判員の左袖に本部登録ナンバーをつける。
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福岡市で世界選手権を開催。大阪が優勝。
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1985年 第1回中・四国大会、第1回九州大会を開催。
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1986年 第1回中日本大会を開催。連盟のテレフォンサービスを始める。
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1987年 中学生投手の連投を禁止する。
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1988年 小学生チームが北京国際学童野球大会へ初参加。9チーム中3位。
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ブラジルチーム来日。
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1989年 (平成元年)新定款による理事、評議員を選出。
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第1回理事会を開催。会長に鶴岡一人氏。
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1990年 春季大会より、捕手のヘルメット着用を義務付ける。
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1991年 鶴岡会長が勲四等旭日小綬章を受章。
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1992年 中学3年生の公式試合出場は、8月31日までに変更。
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1994年 ジヤイアンツカツプ全国少年野球大会で、日本リトルシニア野球協会と初の交流。
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1995年 女子選手(小学生の部)の登録を認める。
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1996年 小学3年生以下の「軟式の部」を設置。
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1997年 ボーイズリーグニュースを刷新。きめ細かいカラフルな紙面に。
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1998年 投手の投球回数の制限。
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1999年 大阪ドームでの世界選手権大会(7か国、14チーム)でジャパン大阪が優勝。
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日本の6 連覇10度目の偉業を達成。
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連盟創立30周年式典で永年功労者を表彰。
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2000年 鶴岡一人名誉会長が逝去。
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新会長に最高顧間だった渡辺滉氏(三和銀行・相談役)が就任。
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8月に6ブロツク8チームによる対抗の
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「第1回ボーイズリーグ鶴岡一人記念大会」開催。
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次年度から各ブロック持ち回りで開催される。
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